カーテンが揺れた。
春を感じさせる心地の良い風が吹き、
太陽の暖かな光は私の身体を白く照らした。
青空はどこまでも広がる、
遥か彼方のまだ見ぬ土地が私を呼んでいる。
目を瞑り、耳を澄ませば、感じる大地の囁き
程よく湿った土には、地面を這う虫達が精一杯に今を生きている。
昨日までの記憶、今朝の記憶、ほんの数分前の出来事は、
果たして本当に全て過去の自分の中で生きた証であるのだろうか。
私が今まで生きてきた毎日は、
何者かによって全て記憶という形で造形され、私の脳内にinputされた物である。
全ては自分という認識の中で生まれた架空の物であり、実際は、私という人間も、愛しい人も何も存在しない、この世界も存在しない。
この自意識は、体とは別に繋がっているものなのだろうか。
私を操るものは神なのか、はたまた未知の何かか。
こんなことを考えるくらいには頭がおかしい。
不規則な雨音が私の聴覚を麻痺させ、
シャッターを閉めても止む気配のない騒音は
刻々と私の体を蝕んでいく。
私の頭の中で演奏するオーケストラ
観客は私だけ。
うるさすぎる。あまりにもうるさくて涙が出る。
しかし体の痛みは私に生きる刺激を与える。
同じ苦しみを経験したものにしか、その苦しみは分からない。
生きたくても生きられなかった彼ら、
死にたくても死ねずに屍のような顔で生きる彼ら、
どちらにせよ辛い。
この数年で考え方も変わり、
自分よりも、誰かの為を想って生きるようになった。
自分が死んだら悲しむ人が生きているうちは
私も死ぬ訳にはいかない。
しかし、悩んだり、悲しんだり、傷付いたり、
嫌なことがある度に私は人間を辞めたくなるので、本当に生きることが向いてない。
忍耐力というものが0に等しい。
私と出会ったことにより、少しでも幸せな気持ちになれる人がいたなら、私の生まれてきた意味はあるのだろうが、当の本人はかなり限界が来ている。
心の中だけは誰にも侵すことの出来ないテリトリーであり、自分しか入ることは出来ない。
土足で人の心の中に入ってはいけない
入りたいならば、先ずは自分を愛することから始めよう。
自分を愛せて初めて、人の心に寄り添える。
自分を愛せない人間が人を愛せるわけが無い。
私の体はいつか光を持てる日は来るのだろうか。
今日も体が重い。