終わらない侵略

私もあなたもこんなことをしている場合ではない。

思考が停止する


犬や猫が虐待される事件。
本当に許せないし犯人のことを私はとても憎んでしまう。
しかし、憐れみの念を示せるのはなぜ犬猫だけに限っているのか。
魚が生きたまま熱湯で丸茹でにされたり、さばかれること、それは虐待にあたらないのか?ということを考えた。

案外簡単に結論にたどり着いた。

生態系がある以上、‪命を奪って生き物を食べるという行為は当然のことであり、それは人間だけに限ったことではない。‬
‪人間に殺される魚も、小魚を殺す。食べるために殺す。生きるために殺す。‬

‪魚にとっては苦痛を伴う残虐的な殺し方だとしても、それは人間が食べる為であり、‬
‪生きたまま噛みちぎられ食べられてしまう他の生き物もいるわけなので、‬
‪魚を生きたまま丸茹でにしたり、さばくことは虐待ではないのである。‬

‪私はこう考えた。‬

‪では次に、豚や牛や鶏といった家畜を大量生産し、惨殺し、食べることは虐待にあたるのか?‬

‪これは非常に難しい問題である。‬

‪食べるために殺すという点では、魚も家畜も同じであるが、なぜだか魚よりも命の重さを感じてしまう。‬


‪良くないことだと思う。‬

‪魚も家畜も虫も犬猫も人間も、皆同じひとつの命である。‬

これは、仏教特有の考えであり、キリスト教にはない。マテオ・リッチの「天主実義」を読んで知った。

 

‪しかし、だからと言って動物愛護を掲げる人が菜食主義かといったらそんなことはないと思う。‬

‪殺された家畜を食べるし、殺された魚も食べる。‬

 

なんかここまで色々と考えたが、疲れてしまったな。

思考が止まる。

 

人間以外の生き物も、他の生き物を殺して生きているので、我々人間が家畜を生産し、殺し、食べることを私は否定できないし私自身も肉が好きです。

 

私はどうやら文書を書くことでしか現実を忘れられないらしい。

どうでもいいな。


またくだらないことに時間を使ってしまった。

 

とてもとてもとてもとてもとても

私は自分が嫌だ